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衣笠(きぬがさ)は、京都府京都市北区の地区名のひとつ。地域としては、衣笠の他に等持院や小松原、平野、北野、大北山などの全域や一部を含むが、そのうち「衣笠」を冠称する町名は23に止まる。 なお、旧葛野郡衣笠村は1918年(大正7年)に京都市に編入され、当時の上京区の一部となり〔旧葛野郡(かどのごおり)衣笠村は、1918年(大正7年)4月に京都市に合併され、上京区第35地区となった。『京都市立衣笠小学校百周年記念誌』(衣笠小学校百周年記念事業委員会、1973年) p.51〕、1955年(昭和30年)に上京区から北区を分区して以来、北区に編入され、現在の境域となった。 == 概要 == 北区と右京区の境界を成す衣笠山(きぬがさやま)〔神奈川県横須賀市に在る衣笠山は、濁らずに「きぬかさやま」と読む。〕は、宇多天皇(法皇)が夏のさなかに雪が見たいと所望して白絹をかけたという故事から「きぬかけ山」とも呼ばれ、それが衣笠山の東部および南麓一帯であるこの地の地名の由来となっている。 鹿苑寺(金閣寺)や等持院などの名刹や、桜の名所として有名な平野神社、8月16日の夜の伝統行事である京都五山送り火のひとつである大文字山(通称:左大文字山)や、農耕と安産の神様として親しまれている敷地神社(通称:わら天神)〔4月の第1日曜日に京都で一番早い春の祭りといわれる「北山お弓祭り」が行われる。〕など、多くの名勝・旧跡に恵まれ、京都府立堂本印象美術館や立命館大学衣笠キャンパスなどの文化施設や文教施設も立地している。石庭で有名な龍安寺も衣笠地区の西隣に隣接しており〔旧葛野郡花園村は、昭和6年京都市に編入され、右京区の一部となった。このうち、大字谷口は「谷口」を冠称する5町と「龍安寺」を冠称する11町に編成された。 ※参考 : 京都市右京区の町名#旧花園村〕、四季を通じて多くの観光客で賑わう。 左京区北白川が学者・学生の町として第二次世界大戦前から特異な存在を誇ったのと同じように、日本画の画材となる自然があふれ名刹にも近く、京福電気鉄道(嵐電)や路線バスでの嵯峨野、嵐山へのアクセスにも便利な衣笠地区周辺には、大正末から昭和50年代頃まで、堂本印象、福田平八郎、徳岡神泉、小野竹喬、山口華楊、木島桜谷、菊池芳文、土田麦僊、菊池契月、金島桂華、といった日本画の大家とその門弟が集まった。また洋画では黒田重太郎があり、日本映画発祥の地としての等持院など、芸術文化の町として、戦前から日本全国に知られる〔『京都市立衣笠小学校百周年記念誌』(衣笠小学校百周年記念事業委員会、1973年) p.52〕。そのために衣笠地区周辺は、別名「(衣笠)絵描き村」とも呼ばれた〔堂本印象美術館 企画展「KYOTOきぬがさ絵描き村―印象・平八郎・神泉・竹喬・華楊―」 - 立命館大学〕。 かつては、東亜キネマ等持院撮影所〔日本映画の祖ともいわれる牧野省三が撮影所をつくったのは、等持院表門(山門)を入った左側(西側)。現在は等持院所有の借地の閑静な住宅地になっている。『京都市立衣笠小学校百周年記念誌』(衣笠小学校百周年記念事業委員会、1973年) p.59〕(後の東亜キネマ京都撮影所〔京都市明細図NW89 (京の記憶ライブラリ) - 京都府立総合資料館〕〔京都市明細図NW90 (京の記憶ライブラリ) - 京都府立総合資料館〕〔「現在の地図から『京都市明細図』を閲覧する場合は、こちら」 〕)や、プロ野球松竹ロビンスのフランチャイズ球場であった衣笠球場や、京都府立図書館上京分館が存在した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衣笠 (京都市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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